誰が使ってもキレのあるダートアクションが可能な最強のジャークベイト
1. ワンテン誕生の歴史
なぜ日本ではなくアメリカで最初に発売されたのか?
アメリカでデビューし日本に逆輸入され広まったONETENですが、そこにはどのような背景があったのでしょうか。
1990年代後半、日本ではソフトルアーを用いてディープの一点をピンポイントで攻めるフィネスゲームが主流となっており、ミノーで広域をサーチする釣り方は曖昧な釣りだとして好まれませんでした。そんな中、MEGABASSの伊東氏はいち早くミノーによる広域サーチのスタイルにポテンシャルを感じており、それがすでに定着していたアメリカへ渡ることを決意しました。そしてアメリカで実績を積んだ伊東氏が2000年、ジャークベイトへのこだわりを募らせて造り上げたのがONETENなのです。
そのような訳でONETENは日本ではなくアメリカで生まれるに至りました。当時の日本では10cm超えのミノーを使うような釣りはあまり流行っていなかったのですね。
日本のジャークベイトでの釣りスタイルを変えた
2000年、世界最高峰のアングラーが集うバスマスタークラシックでONETENがWinning ルアーとなりその名を全米、そして日本に知らしめました。以後、B.A.S.SのELITEプロやMFLのプロもMEGABASSはスポンサー外であるにも関わらずこぞって使用するほどの人気ぶり。多くのプロたちがONETENで釣果を上げ、”世の中にはワンテンでなければ釣れない魚がいる”とまで言われるようになりました。
アメリカでの人気をきっかけに日本でもプレミア価格でONETENが出回るようになったため、日本でも正式にONETENを発売することに決定。日本の鮎に寄せて作ったVISION95と合わせ、フックなどを変更した日本仕様のONETENが発売されました。
ONETENの人気が高まるのに合わせて、それまでナシとされていたミノーでシャローを広域に探るスタイルが日本でも定着していったのです。
(出典:MEGABASS)
2. 伊東氏のこだわり「マーケットインではなくプロダクトアウト」
メーカーとしての立場とアングラー自身としての立場
渡米後、伊東氏はプロのチューニングを任されたりとクライアントの要望に応える日々を過ごしました。MEGABASS社の技術者としてオーダー内容に応えるのも大切ですが、その日々の中で少しずつ相手の要望に応えるだけではなく、伊東氏自身もアングラーとして自分が使いたいと思うものを作りたい…と思うようになりました。
ある時からチューニング依頼を受けるのをやめ、当時愛用していた自社のGreat Hunting95をアメリカのアングラーたちに送ってみたところ、西海岸のアマチュアが物凄い釣果を上げたと口コミで広まりたちまち人気に。しかしそのGH95を流通させるには製作にコストがかかるのが問題となりました。もう一つの伊東氏の愛用品ITOシャイナーもサイズが大きく万人に受け入れられるものではなかったので、伊東氏はGH95とITOシャイナーを融合させた新たなミノーの作成を決意しました。
自分が本当に使いたいルアーを作ったのがワンテン
伊東氏自身が釣り人として心から使いたいと思うものを作る、と誓い作られたONETEN。そのサイズは自分の名前「伊東」にちなんで全長110mm「い(1)とう(10)」。 マッチザベイトではなくダジャレから生まれたのが110mmの絶妙なサイズ。今でこそ使いやすいサイズとされていますが、たまたま名前が伊東だったからという理由でそれを当てられるから伊東氏のセンスが光ります。
また伊東氏は自身がジャークベイトに求める3つの要素をONETENに詰め込みました。
①バスへの訴求力が高いダート性能
②タックルやアングラーに左右されずダートすること
③ローリングによる明滅効果により下層のバスを浮かせること
伊東社長が語るONETEN誕生経緯